My Testimony

 

My Testimony

 

今日この日を迎えられた事に感謝します。

ただ神様を信じ、受け入れるというこんな簡単で誰にでもできる事なのに、長い間迷って回り道をして来たように思います。又恐れもありました。

もう一人の自分が問いかけてきます。本当にそれで良いのか。2000年も前に生きていた人がどうして私のこの苦しみを知っているのか。そして未来の罪までをもしょって下さるってどう言う意味?永遠の命や霊の世界なんてまやかしよ、と耳元でささやいている声が聞こえます。何も知らない人がこんな私を見たら血迷ったか、なんて思われるかもしれない。そんな不安が横切りました。でもそんなささやきも批判も何もかもをも置き去りにして一歩前へ進み出したくなったのです。

私は、自分ではしょいきれない重い重い荷物を持っていました。その試練と言う名の重荷を一生懸命解決しようともがき苦しみあえいでいました。こんな弱い私だからいけないんだとか、責任をいろんな所に転化したり、毎日悲しみの中に目が覚めてこれは悪い夢を見ているのではと思ったりしていました。あえげばあえぐ程深みにはまる蟻地獄の中でもがいていたように思います。自分で何とかしよう、誰かが何とかしてくれるのではないか、そんな考えで日々何とか暮らしていた様に思います。

そんな中、たまたま連れて来て頂いた教会で、聖書のみことばに触れ、牧師先生のお話の中に、これって私の事?私に言われている事なの?と思う箇所が度々あり、何度も涙を流しました。重い重いそのしょいきれない重荷を下ろしなさい。そう聞こえました。たったそれだけなのです。それだけで解放されたと思いました。毎週毎週もっともっとみことばに触れていたい。もっとその宝石のようなことばに包まれたいと思いました。その重い荷物や私の投げかける嘆きやわがまま、罪さえも私の身代わりに背負われ十字架にかけられ三日目に甦って私達の元に帰って来て下さった、その深い愛に触れた時、救われたと感じました。

私はイエス様に、自分で解決し得ない事を解決してもらおうと思った訳でもなく、放棄した訳でもなく、ただそのがんじがらめの状態から自分を解き放ちたかったのです。何もかもを神様にゆだねる事の心地良さに救われたのです。

心が愛で満たされ始めたら、共に苦しんでいた子供も共に解放された様に変わっていきました。何もかも否定的だった事が肯定的な心に変わりました。毎朝苦しみながら学校へ行くその子供を学校へ送った帰り路、車窓から見上げた木の揺らぎに風の流れがフッと変わった様な、そんなすがすがしい気分に心がとても安らいだのです。

いろいろな試練がありましたし、これからもこの世を生きていく上で続くでしょうけれども、苦しい時こそ神様が共に並んで歩いていて下さる、そんな深い愛に包まれていると感じる事ができます。いろんな問題も時が解決してくれる、心を切り替える、考え方を変える事だったかもしれませんが、全てを神様にゆだね信じて、神様が私を受け入れて下さった様に、私も信じてついていきたいと心から思っています。

まばゆい光の漏れている扉に手をかけて今開こうとしています。まだまだ未熟な私ですが、この気持ちを永遠に持ち続けてこれから祈り続けていこうと思います。

本当に、この試練に出会った事が私には幸いでした。

最後に、この教会に連れて来て下さった友人、私をここまで導いて下さった曺先生、そしてこの試練に立ち向かわせてくれた私の愛する息子、また今日は来ておりませんが、私がクリスチャンになる事を笑って認めてくれた主人に感謝したいと思います。

ありがとうございました。

Sunday, June 22, 2008

 
 

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